無駄なことことって、本当に楽しいし、心地よいよね。
今やっていることの意味なんてものは考えずにさ、ただ単純に面白いものを見たり、楽しいことをしたりするのって、本当にいい時間だよね。
どの時代も同じかもしれないけど、ことさら現代において無駄なことって軽視されがちな世の中だと思う。だって、みんな忙しいから。大人になると仕事や家事が忙しかったり、自由を謳歌するために副業だのなんだのって叫ばれたりして、そのためには「まず無駄な時間を省け」なんて言われる。だから、無駄な時間がどんどん淘汰されていくんだよね。
でも、本当は無駄な時間にこそ重要なヒントが隠れていることを、みんな知らない。
僕は、知ってる。だって無駄なことばかりやってきたし、一時期は無駄を一切省いたこともあるから。無駄なことをやっていたときと、やっていなかったとき、この両方の期間を比べても、やっぱり無駄なことを愛していた時期の方が、圧倒的に幸せだったんだよね。ちなみに今も無駄なことを愛しているから、幸せだよ。
意味のあることは、さも意味のあることだと錯覚する。たとえば「副業をするために隙間時間をSNS運用に変えよう」とか「動画なんか見ずに本を読め」とかさ。でもさ、本質的なことは何一つわかっていない状態でこんなことやっても、意味がないんだよね。それは目的があって、やりたいことや叶えたいことがある人が頑張るからこそ、やって意味があることなんだよ。
たとえば俺だったら、どこにいても稼げて時間に縛られない働き方をしたかったから、SNSとブログを始めて、結果的にWebライターとして(自分なりに)成功しているわけ。
「やってみるからこそ意味がある!」「やってみなきゃ結果はわからない!」とか、そうゆう「誰でも成功できるようなビジネスの話はありませんよ」的なことを伝えたいわけじゃないから、話を元に戻すね。
意味のあることをやるのは、とても素晴らしいことだし、意味があるのだと思う。でもね、自分らしく暮らすためには、無駄なことにこそ、意味があるんだよね。
考えてみて。無駄なことって、何も考えずにYouTubeのゲーム実況見てたりとか、散歩中にかっこいい昆虫を見つけて眺めたりとか、そうゆうことだよね。これって、何も考えずに笑ったり興味を示したりしている状況なわけ。つまり、自分の素ってこと。自分の素は、自分らしさってこと。自分の心が真っ裸の状態で、純粋に好きだと言えることだと思う。
そう、無駄なことは、自分らしさを発見できることなんだよ。自分が本当に好きだと思うこと、自然と手が伸びていること、無意識に美しいと思うこと、考えるより先にやっていること、これら数々の無駄なことが自分らしさってことなの。その積み重ねで、ようやく自分らしさってのが見えてくる。
だからさ、深夜の2時半にこうしてわけのわからない文章を書いている俺も、文章が好きなわけ。ブログを書いたりライター活動をしてたりすることが、自分らしく暮らせている証拠なわけ。
学校サボって映画をたくさん観たり、ぷらぷらと外にお散歩しては虫や植物、人の流れを眺めたり、そんな無駄なことの数々が、自分らしさをくれたんだよね。昔から無駄なことばっかやってきたから、今は自分の好き嫌いがはっきりわかって生きやすい。自分らしく暮らしやすいんだよね。
自分らしさがわからないって人はさ、まずは自分が自然とやっている無駄なことに目を向けてみて。そしてその無駄を愛してあげて。そしたらきっと、「ああ、私はこういのが好きで、ああいうのが嫌いなんだ」「こうしてる時間が幸せなんだ」って、自分らしさの根源を知れるからさ。
無駄なことは、本当に無駄でいい。結局土に還れば人類もみんな同じ屍になるんだから、どんな偉業もやってきたことも、無駄になるでしょう?
いいんだよ。お金のために頑張るのも大事だけど、たまには有給使って暇を謳歌してみたり、何もかも辞めてみたりしたっていい。無駄な時間は、決して無駄じゃないから。
ね?無駄なことを愛せよ。自分らしくいられるなら、無理はするな。
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