僕は18歳の頃、担任の先生から貸してもらった葉田甲太さんの著書『僕たちは世界を変えることができない。』を読んで、カンボジアに行った。
高校三年生といえば大学に行くか就職するかなど、今後の人生を決めるうえで大事な時期である。しかし、僕は残念ながら普通の人生を歩むのはまっぴらご免だった。
それに、大学に行くのにも学びたいことがないから忍びないし、就職するのも面倒でつまらなそうだった。とにかく刺激が欲しくて面白いことを探していたのを覚えている。
高校三年生の夏にオーストラリアへ留学に行ったものの、非常につまらなかった。だから今度は、明らかに文化の異なるインパクトの強い国に行こうと思った。
オーストラリアから帰国後、担任の先生に「どうだった?」と聞かれたのを覚えている。僕は「つまらなかった」と答え、先生は笑った。その数日後だったろうか、葉田甲太さんの本を「おもしろいから読んでみ」と教卓の前で手渡してくれたのは。
帰るや否や、スピーカーでジャズの百名選のCDをセットし、青色のソファの前で背中をもたれながらページをめくった。「何この話…」と衝撃を受けると同時に、嫉妬したのを覚えている。沢木耕太郎氏に次ぐ、第二の革命のラッパが高らかに鳴り響いた瞬間だった。
ページをめくり読み進めた数十分後、僕はスマホでカンボジアのボランティア団体について調べていた。信用できそうな団体を見つけ、説明会に即刻申し込みをする。「よし、行こう」これが僕とカンボジアとが繋がった瞬間だ。
説明会に行った僕は、その場でボランティアに行くことを決意し、とあるグループに分けられた。後日、決められたグループで親睦を深めたり計画を打ち合わせたりする合宿が開催。僕はその時に、大学生の仲間と出会う。
かなり濃い話を交わし合い仲も深まったその日の深夜、二人の女子大学生とともに、僕は木のテーブルでいまだに会話を楽しんでいた。
よく覚えている。僕が大学にも行かないし就職もしないと二人に話しながら、日本の会社について語ったことを。
「日本の会社は頑張って上の立場になっても、上の立場にいくにつれて能力の低い仕事しかしなくなるから意味がない」
まだ社会に足の指先すらつけたことのない高校生の坊やがこんなことを言ったもんだから、女子大学生の一人が「それは違うよ」ときっぱり言い放った。おそらくこの時の僕は、どこかの有名なビジネスマンがそんなようなことを言っていたのを思い出し、そのままパクって言っただけだった。
なぜか「違うよ」と言われた瞬間、僕の中でとある感覚が降りてきた。それが、他人は自分という感覚。
具体的に言うと「僕が自分という人間を認識し、考える工程は、他人にもある感覚なのだ」ということ。自我と言うと手っ取り早いかもしれない。自我はそれぞれにあり、自分だけが自分という感覚を持っているのではないということだ。
すなわち、喋っている相手にも聞いている第三者にも、通りすがった男性も、疲れて寝ている仲間たちも、それぞれが自分と同じように自分という感覚を持っており、自分であるということなのだ。
自分は自分だし、他人も自分。今これを読んでいるあなたが自分であるように、僕もあたなであるのだ。
他人は自分だし、自分は自分でしかない。すべての人間が自分であるというこの感覚を持った瞬間、僕は今までになかった他人へのリスペクトが湧いてきた。
この人も自分の頭で自分を作り上げ、脳みそを使って考えている。
なかなか言語ができずに何を言っているかわからないという方も多いだろう。現段階では上手く伝えられる表現を持ち合わせていないので、伝えることができず申し訳ない。
とにかく、この記事で伝えたいことは、自分のためだけを考えたり、自分の利益を優先しすぎるのは良くないということだ。他人も自分だと考えて尊敬できると、少しだけ優しくなれるだろう。
ちなみにカンボジアへのボランティアは、マングローブを埋めに行った。その時にできた切り傷は、今も右手の親指の付け根に深く刻まれている。


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